⾳楽教室事件についての雑感など
各種メディアで報道されているとおりですが,音楽教室での生徒の演奏について,音楽教室側が著作権利用料を支払う必要はないと判断された最高裁判決が注目を集めています。既に報じられているとおりではあるのですが,備忘の意味も含めて,少し整理をしてみました。
最高裁判決の争点は?
ご存知の方も多いと思いますが,今回の事案では,規範的な利⽤⾏為主体をどのように認定すべきか問題となっています。つまり,本件では,物理的に演奏(利用)をしているのは生徒であるのは明らかなのですが(物理的な利⽤⾏為主体),それを音楽教室が演奏(利用)しているものと評価してよいのかということが問題となっています。
カラオケ法理とは?
今回の報道に関連して「カラオケ法理」という名前を聞くことも多くありました。もともと,カラオケスナックにおける客のカラオケの歌唱を店の歌唱と同視した事件があり(最判昭和63年3⽉15⽇⺠集42巻3号199⾴(クラブ・キャッツアイ) ),そこから「カラオケ法理」と呼ばれるようになったのです。
この判決では,店による歌唱の勧誘,店にあるカラオケテープの範囲内での選曲,店のカラオケ装置の操作という事実関係のもとで,店の管理のもとに客が歌唱していると認定するとともに,客の歌唱をも店の営業政策の一環として営業上の利益を増大させていることから,店について著作権侵害の主体であると評価しのです。ここから,①支配管理と②営業上の利益を要件として規範的に行為主体を認定できるという考え方が生まれました。
今回の事件でも,①支配管理と②営業上の利益を基準としてみれば,音楽教室が演奏しているのと一緒ではないかということになるのです。
今回の事件での判断
これに対して,今回の事件では,「演奏の形態による⾳楽著作物の利⽤主体の判断に当たっては,演奏の⽬的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。」と述べたうえで,生徒の演奏について,教師は補助的な役割でしかなく,生徒が自主的に演奏しているのであるなどと認定し,音楽教室による演奏と同視することはできないと判断しました(最判令和4年10⽉24⽇裁判所ウェブサイト(⾳楽教室)) 。その結果,音楽教室は著作権の利用料を支払わなくてよいという結論になるのです。
判決に対する識者のコメント・過去の裁判例との関係など
手元にある地方紙の山陽新聞によれば,早稲田大学の上野達弘教授が「今回の判決でカラオケ法理は死んだ。今後、適用する判決はなくなるだろう」ということです(山陽新聞「闘争5年痛み分け」2022年10月25日)。これまでもカラオケ法理に対しては批判がされてきたところであり,今回の最高裁判決で一応の決着がついたということなのでしょう。
過去の判例など
この「カラオケ法理」というのはネーミングがよかったのか(そんなわけはありませんが…),最近でも,特許法の規範的な行為主体について著作権法のカラオケ法理に従って認定すべきとの見解も多いようです。
まねきTV事件
ただ,比較的新しい著作権法での行為主体の認定は,カラオケ法理はの①及び②の要件に従ってはいませんでした。例えば,まねきTV事件(最判平成23年1月18日民集65巻1号121頁(まねきTV))では,インターネット回線に接続された装置に継続的にテレビ放送の情報を入力する者を自動公衆送信の主体と認定しています。ここでは,自動公衆送信という利用行為の特性にあわせて,具体的な指示をしたユーザーではなく送信可能な状態を作出する者を自動公衆送信の主体と評価しているのですが,管理支配や営業上の利益という言葉はでてきません。
ロクラクⅡ事件
また,その直後のロクラクⅡ事件(最判平成23年1月20日民集65巻1号399頁(ロクラクⅡ))は,ユーザーの指示に従い放送番組等の複製物を作成し,インターネット経由で送信するサービスについて,次のような一般論を述べています。「複製の主体の判断に当たっては,複製の対象,方法,複製への関与の内容,程度等の諸要素を考慮して,誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当であ」り,本件ではサービス提供者がその管理支配のもとに放送番組等の情報を入力するという,複製における枢要な行為をしているので,サービス提供者が複製という利用行為の主体であるとしています。ここでもカラオケ法理のような判断基準は示されていません。
知財高裁の判決
今回の事件の原審である知財高裁判決( 知財高判令和3年3月18日裁判所ウェブサイト(音楽教室))では,演奏の主体の判断にあたっては,演奏の対象,方法,演奏への関与の内容,程度等の諸要素を考慮し,誰が当該音楽著作物の演奏をしているかを判断すべきとしています。お気づきのように,上記ロクラクⅡ事件の規範をほぼそのまま引用しています。
カラオケ法理への批判
カラオケ法理は,既に,著作権法における利用主体の認定には適用されなくなってきていたといえるのでしょう。もともと,カラオケ法理は,著作権法の附則の関係から店のカラオケテープの再生を演奏権の侵害と捉えられないことから,客の歌唱を問題とする必要があったことから生まれたもののようです。その後,附則も改正されているので,過渡的な理論であったと評価することができるのかもしれません。
また,上記ロクラクⅡ事件の金築誠志補足意見では,規範的に行為主体を認定する手法を肯定しつつも,「「カラオケ法理」は,法概念の規範的解釈として,一般的な法解釈の手法の一つにすぎないのであり,これを何か特殊な法理論であるかのようにみなすのは適当ではないと思われる」とされていました(ただし,行為に対する管理,支配と利益の帰属という二要素は重要な要素であるということ)。
このあたりの説明は,ぜひ,学者の先生の書かれた書籍をお読みください(例えば,島並良ほか著『著作権法入門』325頁[上野達彦] (有斐閣, 2021)は,カラオケ法理の再検討の時期を迎えているしています)。
判決についての雑感
いずれにしましても,今回の音楽教室事件は,法定利用行為者を直接認定し,認定に際しては(管理性・利益性といった)固定的な要件ではなく,複数の考慮要素を総合的に判断し,その際に自動公衆送信や複製などの法定利用行為の特性に着目するという(この箇所は島並量「直接侵害者の確定」法教388号139, 143-144頁(2013)を参考にしています),ロクラクⅡ事件以降の潮流にのったものとみえます。今回の音楽教室最高裁判決では,原審の知財高裁が「演奏の対象,方法,演奏への関与の内容,程度等の諸要素」を考慮要素として挙げているのに対して,「演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情」を考慮すべきとしています。おそらくは,演奏権という法定利用行為の特性に着目して考慮要素を少し修正しているのだと思います(知財高裁は複製権に関しての「ロクラクⅡ事件」をほぼそのまま引用していました)。
今後は以上のような点も含めてさまざまな議論がされることでしょう。考慮要素を挙げる判決は柔軟には対応できますが,予見可能性という点からは問題も残ります。近時のインターネットなどの技術進歩を考えると固定的な要件を挙げるのは難しいのだと思います。予見可能性のある判断基準という観点から判決を検討していく必要があるのかもしれません。
今後について
ここまで生徒の演奏についてだけ述べてきましたが,ご存知の通り,音楽教室の「教師の演奏」については著作権料の支払いが必要ということで判決が確定しています。
報道では,「JASRACは徴収対象の音楽教室約6700施設(21年2月末時点)が支払いに応じた場合、徴収額は年間3億5千万~10億円に上ると試算。当面は楽器販売を手がける大手の教室のみだが、将来的にはホームページなどで生徒を募集する個人経営の教室に及ぶ可能性もある。」としています(前掲の山陽新聞)。ひとまずは,零細な個人経営の音楽教室が対象にならない可能性もありますが,法律上は著作権料の支払いが必要であることは理解しておく必要があります。
利用料については,今後話し合いをするようですが,「JASRACは従来、使用料は年間包括契約の場合、教室の受講料収入の2.5%としており、伊沢理事長はこの割合に関し「にわかに変更しなければならないとは考えていない」と語った」ということです(日本経済新聞「生徒の演奏,著作権料不要」2022年10月25日朝刊)。5,000円の月謝だとすると125円の値上げになりそうです。今後の動向に注視したいところです。